2016年11月06日

「ゲームは1日1時間」と言われたのに、なぜスマホでは言われないのか



私が子供の頃ファミコンブーム
が起こり、それはすごいものが
ありました。私自身も子供の頃
からゲームは大好きで、それこそ
マリオにドラクエだけに限らず
色々なゲームをして遊んだもの
です(セガマークVとか)。


そんなファミコンブームの折、
あまりに過熱した雰囲気に大人
も警戒して、ゲームをやらせな
い空気もありました。私の担任
の先生は「友達の家でのゲーム
は禁止」
ということを言い出し、
自分の家以外でのゲームはダメ
というルールができたほどです。
今ならちょっとした問題になり
そうですが。






そうした中、当時ハドソンの
高橋名人が


「ゲームは1日1時間」


と言い出しました。これは当時
としてはインパクトのある言葉
でした。だってゲームの名人と
言われ16連射もできるような人が
(子供からすると神様的存在)
「ゲームは1日1時間」
言ったのですから、子供から
したら衝撃的なことです。


実は後から知ったことですが、
高橋名人は単に過熱化しすぎた
ファミコンブームを鎮静化させる
意味で言ったわけではなく、
ゲームもいいけど外で遊ぶことも
大事だよ、他のことも大事だよ、

という意味だったのです。
なので「ゲームは1日1時間」
だけではなく、その続きで


「ゲームは1日1時間。外で遊ぼう
元気良く。僕らの仕事はもちろん
勉強。成績上がればゲームも楽しい。
僕らは未来の社会人」



という言葉で全部だったのです。





今更ですがこれはとても深い意味
の言葉
です。ゲーム全盛期にこの
コメントを言う懐の深さもすごい
ですが、何より


「ゲームにハマり過ぎるなよ」

「ゲームにコントロールされるな」



と子供たちに諭してくれているの
です。ここに高橋名人をはじめ、
当時の大人たちの愛情を感じずに
はいられません(←大げさ?)。






現代を見ると、スマホに何時間も
使ってしまう子供や大人がいる
のに、「スマホは1日1時間」
「ネットは1日1時間」と諭す
大人の声は聞こえてきません。
むしろ大人がスマホやネットに
1時間以上の時間を費やして
いるように思います。(私も
1時間以上費やしています。)


スマホやネットもいいですが、
さすがに1日1時間を超えると
色々な意味でマズいような気が
します。特に子供がスマホや
ネットに1時間以上の時間を
費やすのは、多感な成長期に
何かおかしい気がします、
たとえそれがLINEのような
コミュニケーション系のもの
であっても。


現代人はファミコンをはるかに
超えるエンドレス状態のネット
環境下にいます。
しかも個人で
携帯できるスマホや3DSで簡単に
ネットに繋がりますから、ファミ
コンよりよほどドップリ浸かり
やすい環境
なのです。そんな状態
なのに子供たちが「1日1時間」
とは言われないのは、とても怖い
ことだと思います。


「スマホやネットも1日1時間」。
今の時代もこれくらいでちょうど
良いのではないでしょうか。



posted by ごくう at 02:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月29日

一方通行型のコミュニケーションでは消耗していくだけになる




「コミュニケーションは一方向だけ
ではなく双方向で行われる。」



これがコミュニケーションの基本
なのですが、どういうわけか一方
通行な感じで行われるコミュニ
ケーションを取ろうとしてしまう
人がいます。


友人でも恋人でも家族でも仕事仲間
でも、コミュニケーションのスタイル
が一方向で、これが基本のスタイルに
なってしまうと、自分も相手もどん
どんと消耗していくことになって
しまいます。



自分だけが常に引っ張っている状態
(発信している状態)だとネタも
枯渇しがちになりますし、相手も
いつも引っ張られる状態(受信のみ
の状態)なのはイヤだなと感じる
ことも出てくると思います。


このようにならないようにするために、
意識的に双方向的にコミュニケー
ションをとるようにすれば、お互い
の情報や気持ちが循環しますので
良い関係が継続していく
と思います。





双方向のコミュニケーションが無い
一方向的なスタイルだと、どうしても
イベントやサプライズに頼る形
コミュニケーションを取ろうとして
しまいます。


これこそお互いが消耗する原因です。
(相互で情報や気持ちが循環しません
から、当然と言えば当然です。)


そうなると一方向的なコミュニケー
ションをを取る人は、「コミュニ
ケーション取るために
イベント的な
こと、サプライズ的なことをを用意
する」
ようになります。


このようなことは花火のようなもの
ですから一時的には盛り上がるかも
しれませんが、その盛り上がりは
パッと消えてしまうものです。


コミュニケーションを取るために
このような盛り上がりを用意する
必要はそれほど無いと思います。

もしそのような盛り上がりを求めて
いるのであれば、お互いの関係は
すでに危機的状況な可能性があります。
だってイベントやサプライズが無いと
コミュニケーションが取れてない感じ
がするわけでしょう?そんな状態が
良い状態だとはとても思えません。






もちろん節目節目でのイベント
は大事でしょうが、日々の中で
双方向型のコミュニケーションが
取れていれば、節目以外での
イベントやサプライズはそれほど
必要ないはず
です。


お互いが消耗していくだけの
一方通行型(コントロール型)
のコミュニケーションになら
ないように、双方向型(脱
コントロール型)
で循環する
ようなコミュニケーションに
なるように気を付けていきたい
ものです。



posted by ごくう at 23:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月25日

とても良い記事:マウントポジションを取りたがる人の話



あなたのまわりにはマウント
ポジションを取ろうとする人
はいますか?


※マウントを取る、マウント
ポジションを取る、マウン
ティングとは、上に立とうと
する、優越的立場(優位性)
を誇示しようとする、
という
意味です。



このマウントを取ろうとする
人は男女を問わず案外いる
ものです。


私も昔から「何でこの人は
こんなにマウントを取ろうと
するのだろう??」
と思う
人がいました。


またこのブログでも「コント
ロール思考」
という言葉で
相手(他人)・状況・結果を
コントロールしようとする人
について書いてきました。


マウントを取る思考もコント
ロール思考も根っこは同じ
ような気がします。そこが
分かるとマウントを取ろうと
する人、コントロールしよう
とする人に対してうまく対処
できるようになって日々の
ストレスがかなり減ると私は
思います。





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基本的に身近な人には本当に恵まれていて、
性格がよくて明るくて自分の好きなことが
あって、悩んだり迷ったりするけどそれも
ちゃんと自分で受け容れているような、
そういう良い友人が多いのですが。
ごくごくまれに、仕事関係だったり、
大きめの飲み会の席で何となく隣り合わせ
になったりして、びっくりするほど攻撃的
な人
と出会うことがあります。


やたら自慢話や薄っぺらい哲学を披露した
かと思えば、急にこちらを見下したような
否定的な言葉を投げてきたり、「ヤダな」
と思って距離を置こうとすると追いかけて
きたり、よくわからない執着をしてきたり、
一体何がしたいんだろう、というような
タイプです。
こうして自分の考えや思ったことを公開し
続けていると、実際に会っていない人からも
そういう謎メッセージを受け取ったりして
驚くことがあるのですが、やはりそういう
タイプの人も、自分がいかに素晴らしい/
努力してきた/苦労してきたか
、を延々と
披露した挙句、だからお前はダメなんだ、
と攻撃してくることが多いです。


批判の意見は喜んで受けようと思って努力
しているんですが、意味不明な攻撃について
はどうしても受け容れ難く、何でこの人は
そんなことを言ってくるんだろう?もっと
生産的な、何か違うことにエネルギーを
使えばいいのに?と思うことしばしば。


ずっとそれをモヤモヤと考えていて、心の
なかのカテゴライズでは、そういう人たち
のことを「何かとマウントポジションを
取りたがる人たち」
という括りで考えて
いたのですが、ヒントになることがあり
ました。・・・・


引用:インターネットの備忘録
http://bit.ly/2dFggGj
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このブログでは引用してませんが、
記事の後半にとても重要なことが
書かれています
ので、ぜひ上記
リンクよりお読みください。



さて・・・、マウントを取ろうと
する人はやはり自己肯定ができて
いないのだ、
と思います。


自己肯定できていない人は他者
を肯定できない。自我が弱い
(自己理解が弱い)から自分
に自信が無い、だから他人も
あまり信用できない。
自分に自信が無いからその
穴埋めをするかのように虚勢
を張ってしまう。
でも所詮は
虚勢だから何となく浮ついて
いて(演じている感じがして)
マウントを取るような行動に
出てしまう・・・。


こんな負のサイクルでグルグル
と回っているのが「マウントを
取りたがる人」であり、「コント
ロール思考の人」だと思います。





自己肯定感がある人は、自分に
とってどうでもいい人に対して
「いい感じで放っておく」こと
ができますが、自己肯定感が
弱い人は相手をコントロール
しようとしていまいます。

そしてコントロールできない
となると相手を否定し始める
のです。


ひょっとするとマウントを取ろう
とする人、コントロールしよう
とする人は、実は相手に受け入
れてもらいたいのかもしれません。

一見すると相手に対して強気に
出て支配しようとしているように
見えますが、実は自分を受け入れ
てもらう人(場所)を探していて、
でも自己理解が弱いから強気に
出てしまって、それがクセに
なってしまっているのかも
しれません。
自己肯定感が強い人はそんなこと
せず、自然体ですから(ちゃんと
自分の場所を作ってますから)。



そう考えるとマウントポジ
ションを取ろうとする人、
コントロールしようとする
人は、本当はかなり寂しい
日々を送っているのかも

しれませんね・・・。



posted by ごくう at 23:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月22日

やたらと自分より下の人をサポートしたがる人とは距離を置く。



みなさんのまわりには


「ダメな(ように見える)人」


をとても大事にしたり、サポート
する人はいますか?


「ダメな(ように見える)人」とは
言うまでもないかもしれませんが、
学生の人なら「勉強ができない」
「スポーツができない」「友達
があまりいない」という感じの人
だったり、社会人であれば「仕事
があまりできない」「今にも会社
を辞めそうなオーラを常に出して
いる」「会社で不正をしてしまい、
それからずっと立場が弱くなって
いる」ような人のことです。





私はこのような「社会的に弱い人」
を擁護したりサポートする人という
のは、「やさしい人」「面倒見が
良い人」
だと思っていた時があり
ました。


「思っていた時がありました」と
過去形なのは、今はあまりそう
思っていません。



もちろん、本当に「やさしい人」
で「面倒見が良い人」という
素晴らしい人も中にはいます。
しかし25歳を過ぎたあたりから
「そうではないかもな」と感じる
ことが出てきました。


それは何でなのかと言うと、この
ような「どちらかというと社会的
に弱い人」を大事にする人は、
はっきり言ってしまえば


「自分より下の人が好き」


なのです。


私にも経験がありますが、自分より
明らかにできる人だったり、頭の
良い人、つまり「自分より上の人」
と話をしたり仕事をしたりするのは
疲れるのです。また緊張もします。


自分のパワーが10だとして相手が
15だとしたら、常に自分は10出して
いるか、もしくは無理をして12を
出さないといけないような感覚に
なります。そうしないと付いて
いけないからです。だから自分より
「上の人」と一緒にいるのは疲れる
ことが多いです。


しかし自分より「できない人(下の
人)」と一緒にいるのはラクです。
自分が10で相手が7のパワーしか無い
のなら、自分は8でも十分やっていけ
る。
そんな感覚になるからです。






なんとなく弱っている人、もともと
パワーが弱い人、なんらかの事情で
今の立場が弱くなっている人に対し
てはとてもよくサポートしたり声を
かけたりするのに、今ノリノリで
やっている人、もともとパワーが
強い人、なんらかの手柄で立場が
強くなっている人に対しては、
あまりサポートせず、むしろ無視
したり毛嫌いしているような人は、


単に自分より下の人が好きなだけ


なのです。本当に「やさしい人」
「面倒見が良い人」であれば上も下も
関係なくサポートするはずです。






ではどうして「自分より下の人」を
好むのでしょうか。


このような人は「自分より下の人を
サポートすること」で自分の価値や
位置を確認しつつ、「自分が上に
なった気分に浸れる」
ことで安心
している
のだと思います。また


「私は人の役に立っている(自分より
下の人限定で)。そしてこれで周り
からも良く思われたい。」



という気持ちもあるのではないかと
私は思います。


結局のところ「自分より下の人限定で
サポートする」ということは、自分に
自信が無いのかもしれません。

サポートしたような気にさせてくれる人
だからサポートしている、では、本当の
サポートではないはずです。
これでは
下の人をサポートしているように見せ
かけているだけの状況のコントロール
に過ぎません。


本当にやさしくて面倒見が良い人は
基本的に誰に対しても対等です。
自分より下の人だからといって
過保護になんかしないでしょうし、
上の人だからといって媚びを売る
こともないのです。





「サポートしたい」「誰かの役に
立ちたい」などと自分から言う人
ほど、単に「自分より下の人が
好き。それは自分が上になった
気分になるから」「ラクだから」
「安心できるから」「周りから好か
れている(必要とされている)気が
するから。」
という人が少なからず
いる気がします。このような
人たちは「自分より上の人」
基本的に良く思いませんから、
距離を置いた方が無難と言えそう
です。



posted by ごくう at 14:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月16日

「情に頼る」人は「情に厚い」人を利用しようとする



以前、私の会社で入社して3週間
程度で辞めた男性(30代半ば)が
いました。


彼は入社早々よく欠勤しました。
2日来ては1日休み、翌日来たと
思ったら3日連続で休む、という
感じでした。


特にメンタルや体の調子が悪いと
いう感じでもなく、単なる休み癖
がある人
、という感じでした。


さすがに入社したばかりでそれだけ
休むのはおかしいですし、改善の様子
も見られないので、試用期間中という
こともあって「このままでは継続
雇用できない」
という話を会社は
本人に伝えました。そのための話を
するので後日会社に来るように(←
彼が休んでいた時だったので電話で
連絡していました)、ということに
なったのですが、その話し合いの場に
彼は妻と子供を連れてやってきました。


妻と子供と一緒に会社に来た日は
水曜だったのですが、


「来週の月曜からは心を入れ替えて
真面目に仕事をします。」



と彼は言ってきました。


皆が「どうして今日から働かず、
来週の月曜からなのか?」と思った
のは言うまでもありませんが、そんな
感じの人でしたので、彼はその時点で
辞めることになりました(実質的に
試用期間中に解雇です)。


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会社との話し合いの場に妻と子供を
連れてくるという行為は、明らかに


「情に頼る」


行為だと私は思います。


そもそも仕事の場に妻と子供は関係
がありません。
本人の勤務態度に
問題があって、それがもしその場で
劇的に改善する余地があるのなら
雇用は継続されたかもしれません。


しかし妻と子供を連れてくることで
情に訴えるかのような作戦に出た
あげく「今日から働きます」では
なく、なぜかもう2日休んで来週
から頑張ります、と言う。そもそも
が休みがちなのに・・・。これでは
社会人として話になりません。






このように「情に頼る」「情に訴える」
というような人は意外と多いものです。


このような人たちが勘違いしているな
と思うのは、


「情に厚い」←「情に頼って(甘えて)いい」


と思っていることです。


他人がいくら「情に厚い」としても、
そこに自分から甘えていく人は普通
はいません。
それは自分に甘い人が
「情に頼る」だけで、実は「相手の
情を利用している」
だけなのです。


このような人は「情をコントロール
(利用)している」
人が多いです。


「情に訴えれば(自分がダメでも)
何とかなる」


「自分に対して情をかけれくれるはず」


「情さえあれば自分は甘えていい」



そのような考えが根底にあります。


このような「情をコントロール(利用)
する」人ほど「情に厚い」「情がある」
という言葉を使いますが、要は自分に
とって都合の良い「情」であって(情を
受け取るだけ)
、それで相手の都合
や立場が良くなろうと悪くなろうと
「どうでもいい」と考える人が多い
のです。


また「情に頼る」人は「情につけ込む」
こともするため、平気でウソをつきます。


「親が病気で借金だらけ。なんとか
お金を貸してくれないか。」


→実は浪費癖があり自分で使ってしまう。


「会社が倒産寸前なので転職しよう
と思った。だからこの会社の面接に
来た。」


→実はそんなことはない。単に仕事
でうまくいかず転職したいだけ。



こんな例はいくらでもあるものです。
(もちろん本当の場合もありますから
注意が必要ですが。)







もし「情に頼る」ような人の話が
ウソか本当かを見抜くのだとしたら、
それは簡単です。こちらから質問を
して、話にリアリティがあるかないか
を区別すれば良い
からです。


例えば


「親が病気で借金だらけ。なんとか
お金を貸してくれないか。」


というなら、


「失礼だがどんな病気でどれくらいの
入院期間、入院費用になりそうなのか、
具体的に教えてくれないか。」


「高額療養費制度があるが、それでも
ダメなのか。先進医療なら民間の保険
には入っていないのか。」



という質問に対しても、本当ならば
即答できるはずです。人様にお金を
借りなければならないほどの状況なら、
そのあたりは即答できて当たり前
ですから。


また、


「会社が倒産寸前なので転職しよう
と思った。だからこの会社の面接に
来た。」



というのなら、


「あなたの会社が倒産寸前ということ
だが、原因は何だと思うか。また、
あなたはその倒産寸前の会社に対して
(倒産を食い止めるために)どれだけ
のアクションをしたのか。」


「どのくらい前から倒産寸前だと
いう認識(社内の空気)があったのか」



と聞いてみて、どう答えるかでだいたい
分かるのではないでしょうか。


これらの回答にリアリティが無ければ
たいていウソか、仮に本当だとしても
何も考えず情だけに頼る人ということ
が分かります。





繰り返しになりますが・・・・・・、
「情に頼る」人ほど「情に厚い」とか
「情がある」などと頻繁に言って「情」
を過大評価
し、そこにつけ込んでくる
人がいます。このような人ほど本人には
「情が無い(←情を利用しているだけ
だから)」
のです。だから「情に厚い」
人は「情に頼る」人につけ込まれない
よう(コントロールされないよう)に
注意しないといけません。


さらに言えば「情に厚い」人は「情に
頼る」人を過大評価してしまうことが
あります。
自分に頼ってくるからといって
良い人とは限らないのですが、どうしても
うれしくなってしまうのか目が曇って
しまうことがあります。ここは騙され
ないように冷静に評価しないといけま
せん。




posted by ごくう at 15:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする