2016年12月25日

コントロール思考は世代間で連鎖する可能性がある



コントロール思考はコントロール
する側の人にとってとても便利な
思考なので、コントロール思考で
味をしめてしまうと


「コントロールは正しい」


という錯覚してしまいます。


仕事や勉強、親子関係や人間関係
においてもコントロール思考は
強い影響をもたらしますが、
コントロールの味をしめてしまうと
状況・他人をコントロールしたくて
たまらなくなるのです。


コントロール思考の怖いところは
コントロールする領域がどんどん
広がっていくことです。



はじめは勉強や仕事だけ、つまり
自分だけに及ぶコントロールが、
エスカレートしていくと友人関係、
親子関係など、他人に対しても
コントロールすることが良いこと
であると錯覚してしまうのです。





ここでは家庭(親子関係)での
コントロール思考を挙げてみたい
と思います。例えば・・・・


「本人のため(会社のため)」と
言いながら、進学先や結婚相手
まで親が決めてしまう。


家族旅行に行くと言いながら
親だけで行き先からプランまで
決めてしまう家庭。


父も母も共働きだからと言って
家の掃除や家事などを半強制的に
子供にやらせる親。


子供が就職先(進路)を選ぶ際
親の意見を子供に強く反映させ
てくる親。(同じく子供が部活
やアルバイトを選ぶ時も強く介入
してくる親。)




このような親(家庭)で育った
人はコントロール思考に充満
した家で育っているので、
「コントロールする・される」
が当たり前であり、「コント
ロールする・される」
が愛情
であったり人情であると考えて
しまいがちなのです。





怖いことに、コントロール思考
の下にいることが正しいと錯覚
している人は、多くの場合は
周りの人を不幸にしていきます。

それは周りの人を心から信頼
することができず、信頼して
接するということが出来ない
ので、相手が次第に息苦しく
感じるようになってしまい、
強いストレスが生まれてしまう
からです。


しかしコントロール思考の
人はそこに気付きません。

コントロールすることこそが
愛情であったり人情であると
勘違いしているため、ますます
コントロールしようとして
しまう
のです。


コントロール思考の人は自分は
コントロールしているという
自覚がありません。
それは親
(家庭)からそのような環境で
育てられたので、それがごく
当たり前のことだからです。





現在はこのような親を「毒親」
と言ったりもするようですが、
この毒親こそコントロール思考
に陥っているのと同時に、彼ら
もまたコントロール思考の親に
育てられた可能性があるのです。
そういった意味では毒親と言わ
れている人は加害者でもあり
被害者でもあると言えます。


コントロール思考にも同じような
ことが言えます。コントロール
思考の下で育った親が今度は
子供をコントロールしてしまう。

そしてそれが愛情であったり、
しつけであったり、人情だと
錯覚してしまう。


本物の愛情や人情には、相手を
コントロールしようという思い
はないはずです。
子供であって
も自分の道は好きなように
選ばせる。進路であっても
〇〇高校や〇〇大学へ行け、
などとは言わない。自分が
社長だとしても子供が会社を
継ぐか継がないかは子供に
選択させる。


そうできるのは子供を従属物
(コントロール)としてでは
なく、一人の人間として扱い
(脱コントロール)、心から
信頼しているからこそできる
のです。(信頼していない親は
子供を平気でコントロールして
しまいます。)


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このようにコントロール思考は
世代間でも連鎖する可能性が
あるため、注意が必要です。
まずは自分がコントロール下
にあったのか、なかったのか、
その自覚(振り返り)が大事
なのかもしれません。
もし
自分がコントロール思考が
強いなと感じたら、自分の
世代でコントロール思考は
終わらせて脱コントロールを
目指していく、そう考えた方
が良いと思います。



posted by ごくう at 22:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年12月18日

押してダメなら引いてみな


昔から


「押してダメなら引いてみな」


と言います。この言葉、ネット
で検索してみると恋愛関係の
記事でヒットすることが多い
のですが、恋愛に限らずどんな
ことにも当てはまる言葉
だと
私は思います。


しかしこの大事な言葉、最近は
子供も知らないことが多いよう
です。

▼参考記事
http://bit.ly/2hvPJMv


このような大事な言葉を子供が
知らないのはちょっと残念な気
がします。





それにしても上記の記事にも
ありましたが、「押してダメ
なら引いてみな」
とは色々と
工夫して(試行錯誤して)
やってみなよ、ということも
あるのですが、やはり人の
心理、、親子関係、職場や
学校の人間関係などを考え
ますと、


押してダメなら引いてみな=
やたらとコントロールするな



と私は考えます。


例えば子供に「勉強しろ」と
言い続けても、子供は勉強
なんかしないでしょう。
むしろ「勉強しろ」と言われ
続けるるからこそ、勉強を
しなくなるのだと思います。


恋愛でも同じです。やたらと
「付き合いたいアピール」を
されればされるほど、相手に
対して関心が無くなり、他に
もっといい相手がいるのでは
と思ってしまうものです。


人間関係でも同じですね。
仲良くなろうとして一方的に
プッシュすればするほど相手
は引いていくものです。





結局何事もそうですが一方的
になり過ぎるということは、
何かが足りていないのです。



その「何か」とは格言通り
「引いてみな」ということ、
つまり「脱コントロール」
ということ
だと思います。


相手をコントロールしようと
しすぎるから(自分の意志を
通そうとしすぎるから)、
一方的になってしまうのです。
そして一方的な行動にコミュ
ニケーションは存在しないの
です。コミュニケーションとは
双方向のことですから、一方的
なことはコミュニケーション
ではなく、ただのコントロール

です。


「押してダメなら引いてみな」。
人生の様々なところで使える
大事な言葉だと改めて思います。



posted by ごくう at 10:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年12月15日

心からの信頼関係は、モノでは通用せず、心でしか作れない。



以前、私の子供の友達が
「〇〇をおごるから一緒に
買い物に行こうよ」
と言って
誘ってくることがありました。


子供も最初のうちは
「やった〜」
という感じで付いて行った
ようですが、それが何度か
行くうちに、「もう一緒に
買い物に行くのが面倒くさい
(一緒に買い物に行きたく
ない)」
というスタンスに
なって結局モノで釣られても
行かなくなってしまいました。


親としては「よその子に
何回もおごってもらうのは
いかがなものか」と思って
いたので、数回で済んで
一安心というところなの
ですが、モノで相手の心を
釣ろう(掴もう)とする人
は案外いるものです。






「モノで相手を釣る」とは
お菓子でも、食事でも、
飲みに行くことでも、
とにかくモノを使って
相手のご機嫌を取ろうと
するような行為です。


またモノでなくても、
例えばとってつけたかの
ように褒めてみたり、
慣れ慣れしくするのも
同じようなことだと
思います。


このようにする人は
とにかく接し方が何かと
表面的です。



普段からお互い心を配り
あっている仲なら、変に
モノをあげたり褒めたり
(媚びたり)しなくても
信頼関係は自然と出来て
いるものです。



「心を配りあう」とは何も
神経を尖らせて過剰に気を
配るものではありません。
何となく体調が悪そうだった
ら「大丈夫?」と言ったり、
忙しそうにしていたら「何か
手伝えることはない?」と
いった程度の気配りで十分
なのです。


ところが普段からこのような
気配りが出来ない人ほど、
大仰にお菓子をあげたり
食事に誘ったりしがち
なのです。


しかし普段ベースの信頼
関係が無い仲だと、お菓子
をあげても食事に誘っても
イマイチ相手の食いつきが
悪いのです。
でも本人は
それで相手に気配りをして
いると信じているので、
何で相手がそっけないのか
全然理解できません。

下手をすると「私はこんな
にも(モノをあげたりして)
気を配っているのに、何て
冷たい人なんだ!」
などと
言い出すことすらあるの
です。(これぞコントロール
思考と言えます。)





結局のところいくらモノで
釣るようなことをしても、
それほど心を通わせることは
できない
のだと私は思います。
やはり心を通わせるには
「心と心の気配り」つまり
「心と心の触れ合い」が
一番だと思うのです。



例えば何か信頼を失って
しまうようなことをした
としたら、それはやはり
基本的にはモノではなく
心で信頼回復に努めない
と誠意は見えにくいので
しょう。


もし「自分は何となく人
から信頼されていない気
がする」
と感じるのであれば、
もしかしたらモノで人との
距離を縮めようとしていま
せんか?



モノだけで人の心をつかむ
ことは難しいと思います。
モノで心をつかめるのは
元々信頼関係のある間柄
だけと言っても過言では
ありません。
モノで心を
伝える(伝わる)と考えて
いる方は、一度考えてみた
ほうが良いのかもしれません。



posted by ごくう at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年12月10日

脱コントロールになるために参考になる本:「成功者の告白」



もう10年以上前になるのですが
「成功者の告白」(神田昌典著)
という本を読んだことがあります。
この本は以前から家にあった
のですが、久しぶりに本棚で
見つけたので、思うところ
あって再び読んでみました。


前に読んだのが約10年前ですから
私自身も見方・考え方がだいぶ
変わったところがあります。
もともとこの本は「起業したい」
という意識から買ったのですが、
40を過ぎた今の私にとっては
「起業」というよりも「脱コント
ロール」
という意識の方が強く
なってきています。





「起業」にしろ「脱コントロール」
にしろ、この本には仕事・心理学
などがどれだけ人生に影響して
いるか、また会社と家庭の関係が
どれだけ大きいかがストーリー
仕立てでとても分かりやすく
書かれています。


例えば仕事でかなりのプラス思考
の人がいるとすれば、その逆に
マイナス思考の人も出てくる、
というようなことが書かれて
います。仮にマイナス思考の人
が辞めたとしても、再びマイナス
思考な人が現れる。


また仕事がうまくいけばいくほど
家庭に問題が出てくることがある。
子どもは親との間を取り持つため、
不思議と病気になったりすること
がある。会社もまた然り。


とこんな感じのことが書かれて
いるのです。一見すると非合理的
にも思えますが、実際には不思議と
そのようになることが多いのです。






私はこの本から確実に影響を受けて
いると感じていますが、この本から
だけではなくその他の本や心理学や
実際に経験したことから、


(状況・他人・結果を)コント
ロールしようとすればするほど、
コントロールできなくなる


というコントロール思考の怖さを
強く実感します。


自分が社長であっても社員を
やたらとコントロールしよう
としてはいけない


自分が親であっても我が子を
やたらとコントロールしては
ならない


自分自身へのコントロールも
ほどほどにしたほうがいい


コントロール思考になると
本当の意味のコミュニケー
ションが無くなる(一方通行
のコミュニケーションに
なってしまう)



このへんにピン!と感じるもの
があるでしたら、この「成功者
の告白」
を読むと、とても得る
ものが多いと思います。


古い本ですが「成功者の告白」
はオススメの一冊です。



posted by ごくう at 22:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年12月04日

劣等感が強ければ・・・・


とても気になるツイートがあった
ので紹介いたします。





この言葉、短いですが実に
的確に「劣等感」を説明している
深い言葉だと私は思いました。


そうなんですよね、劣等感が人
一倍強い人(劣等感にコント
ロールされている人)って
何だかとても無理をしている
ような時がある気がします。
急に強気になったり逆に
いきなり弱気になったり・・。
一体どちらが本当の人なんだ?
と思うこともしばしば。結局
「こころの根底」にあるのは


強烈な劣等感(コンプレックス)


なんだと私は思います。





それにしてもこの強い劣等感、
一体どこから来ているので
しょうか。


私が思うに、このような人は
結局いつも(子供の頃から)


何か他のところで賞賛を
得ようとしてきた


のではないか、と思います。


学生時代なら良好な友人関係
や学業、部活などが出来るか
出来ないかが自分への自信に
繋がっていくと思うのですが、
例えば


友達ができないから勉強に
ひたすら走る


勉強ができないから部活に
走る



といったように、


〇〇ができないから
◇◇で賞賛を得たい



という感じなのです。
ここでポイントなのが
単に、


〇〇ができないから
◇◇をできるようにしたい

   

ではなく、


〇〇ができないから
◇◇で賞賛を得たい



というところです。


「賞賛を得たい」くらい、
「できない〇〇」に対して
劣等感を感じているのです。






そこまで劣等感を感じている
のなら「できない〇〇」に
素直に真正面から取り組んで
いけば良いのに、
どういう
わけかそうはしてこなかった
のです。


「できない〇〇」はほとんど
放置しておいて、賞賛を得る
ために「◇◇」にばかり取り
組むクセが付いてしまって
いる・・・。
これが人一倍
強い劣等感の根っこではない
でしょうか。






そんなクセがついてしまって
いるので、人間関係でも自然
とそのような姿勢が出てしま
うのです。


人と親しくなるよりもまず


自分を尊敬してほしい


自分に対して劣等感を与える
ようなことはしないでほしい


そのような思いが強いのです。


だから人との関係に上下関係を
つけたがり、やたらと自分が
「上から、上から」という目線
で人に接してしまうから人が
離れていってしまうのです。





あまり劣等感が無い人はまず
「親しくなろう」とし、そして
波長が合えば「ずっと親しく
していよう」
とします。決して
「親しくなろう」→(時間が
経って)「尊敬してほしい」

いうようにはなりません。


最初はやたらと「親しくなろう」
として、ちょっと親しくなると
「尊敬しろ」的なオーラを出して
くる人はたいてい人間関係で
うまくいっていません。



この原因が「強い劣等感」から
来ているのだとしたら・・・・、
そしてそのことに気付いて
いないのだとしたら・・・・。



これはとても怖いことです。
まずは自分に「強い劣等感が
ある」ということを自覚する
ことが大事なのかもしれません。
自覚さえできれば・・・・・、
変に無理もせず、人から尊敬を
求めることもなく、自然に振る
舞えるような気がします。
(自分の強い劣等感に向き合う
ことって、かなり難しいでしょう
けどね・・・。)





posted by ごくう at 15:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする