2018年04月22日

意図的なのか無意識なのか・・・独占しようとしてしまう人の心理



私が大学生の頃の話です。


アパートの大家さん(おばさん)と
仲良かったので色々と話をしたの
ですが、その時に


「〇〇君(私)、ブサイクとだけは
付き合っちゃいけないよ。」


と言われました。理由は


「ブサイクは平気で人をおとしいれる。
そして平気で嘘をつく。



私が若い頃、女3人、男3人で遊ぶ
ことになって、その中に一人ブサイクな
女が一人いた。遊ぶ時になぜか仕切り
だして、集合時間は10:30に、という
ことになった。


そしたら私ら2人には10:30と言って
おいて、他の人たちには集合時間は
10:00と言っていた。
そしたら私ら
二人は30分遅く行ったことになったの
だけど、どうもそいつは意図的にやった
ような気がするんだよね。で、自分は
早めに行って先に男の子たちと仲良く
なってやろう
、という感じで。


でも私ら二人は自分で言うのも何だけど
美人だったから、結局男たちにモテて、
ブサイクはモテなかったけどね(笑)。」






この話のようなことは実は普通に
あるような気がします。


会社でも自分の承認欲求を満たす
ために後輩や部下に仕事を渡さす
自分だけの独占業務にしてしまう、
そんな類です。


つまり周りには内密にしつつ自分
だけ先行投資のようなことをし、
しかも周りからは入られない
ように工作する。


でも・・・、先の話ではないですが、
この工作はたいてい失敗します(笑)。


なぜかと言えば、そもそも先行
投資的な行動で独占しようと
している時点で、自分の負けを
認めてしまっているから
です。


・他人に出し抜かれたくない。
・他人より先に接触・行動することで
 親密な関係になりたい。



これらはすべてコントロールです。


状況をコントロールすることは最初は
意外とやりやすい
ものです。人より
先に行動し、先手必勝という発想で
出し抜けばまずは「勝てる」わけ
ですから。


でも、短期的にはそれで「勝てる」
かもしれませんが、長期ではまず
「勝てない」。自分では「勝てない」
と知っているから先行投資・先手
必勝の行動をとってしまうのです。
これは意図的なのか無意識なのかは
わかりませんが、いずれにしても
「勝てない」と分かっているから、
焦っているから独占しようとして
しまうのです。



脱コントロール思考ならばこれは
あり得ません。


コントロールしようとしませんから、
行動が自然となり、最初は仲良く
ならなくても次第に気が合う同志で
仲良くなっていく
のです。


仕事も一緒です。
自分一人で独占などせず、部下・後輩
に自然と仕事を振っていく度量が
あれば他の仕事に着手することが出来、
ますます仕事の幅が広がっていく
のです。これは承認欲求のために
仕事をしている(コントロールして
いる)のではなく、周りのため、
相手のために仕事をしているから
できることなのです。


独占しようとしてしまう人には
「自分が一番得をしたい」
という意図がありありと感じられ、
結果として信頼を失ってしまうの
です。


顔がブサイクなのは仕方ありませんが、
性格までブサイクになってしまったら
救いようがありません。


性格が良いとは脱コントロール思考で
いること。

性格が悪いとはコントロール思考に
なってしまっていること。

内面がブサイクにならないように気を
つけないといけませんね。




posted by ごくう at 00:00 | Comment(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年04月15日

評価者である前に理解者であれ!


人と話をしていると「何か
不愉快だな」
と思う人の
話し方をよくよく観察して
みると、やたらと自分が
評価者であるような話し方を
している
ことに気が付きました。


このような話し方をする人には
学歴が高い、会社で役職が高い、
という人もいるのかもしれま
せんが、一概にそうとも言えない
というのが私の印象です。つまり
評価者風に話す人は学歴や役職の
ようなものではなく、一種のクセ
のようなもの
なのかもしれません。


ですがこのクセ、最初のうちは
我慢もできますが、付き合って
いくとだんだん不愉快になって
きます。「あなたは一体何様
なの?」
とどうしても感じて
しまうからです。まわりにこの
ような評価者風の話し方をする
人がいるといつの間にか感染
してしまうこともあるので注意
が必要
かもしれません。


この評価者の視点が怖いのは、
評価者のような視点ばかりで
人やモノを見ていると、次第に
人やモノを「理解しよう」と
しなくなってくる
ことです。


相手を理解しようとするよりも
評価してしまう。



こうなると相手のことを見よう
ともせず、見ないで一方的に
評価してしまうようになります。


相手を見ないで評価するなんて
基本的にはあり得ないと思うかも
しれませんが、評価者癖がついて
しまった人には理解者の視点が
欠如
していますので、相手を
ろくに見もしないで評価をして
しまうようになるのです。






しかしこれでは人が離れていく
でしょう。
いつも評価者風を
吹かせているけど相手を理解
しようともしない、では人が
離れていって当然かもしれま
せん。


人と話をする時、接する時、
評価者である前にまず相手を
理解しようとする姿勢が大事

なのではないでしょうか。
極端に言えば評価者である
姿勢なんてほとんどいらない

のかもしれません。


人は自分を評価しようとして
くる人なんてだいたい不愉快
に感じるものです。
逆に自分を理解しようとして
くる人には好感を抱きます。



評価しようとする人は相手や
状況をコントロールしようと
する傾向があり、理解しよう
とする人は脱コントロール
いう感じがします。


評価しようとすると何かと
無理が生じ、
理解しようと
すると無理がなく自然体に
なれる
という感じがします。
「評価するより理解しよう」
という姿勢が大事なような
気がします。




posted by ごくう at 10:35 | Comment(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年04月08日

〇、〇、×、◎、△、×、◎、△・・・・・・



ある本に「〇〇××〇×・・・
とあった時、自分に自信の無い
人は×の方に着目していて、
自分に自信のある人は〇の方に
着目している」とありました。
まさにその通りだと思います。


どんなことにも〇も×もあり
ますし、常に〇ばかり、×
ばかりという人もいません。

また〇か×かだけでなく、◎
もありますし、△もあるはず
です。


そんな感じなのにどういうわけ
か×ばかりが気になってしまう。

自信が無い以外にある種の完璧
主義のようなものもあるのかも
しれませんが、折角〇や◎が
あるのに、自分は×ばかりだと
思ってしまうのはあまりにもった
いないというものです。


また「人間万事塞翁が馬」
いう言葉もあるとおり、その
時は×だったとしても、実は
その×があったから後に◎に
繋がっていた、
なんてことも
ありますし、逆に◎だと思って
いたら実はそれは一時的な
もので、すぐさま△や×に
突入した、なんてことも
あります。


つまり◎や〇や×に一喜一憂
ばかりするのもあまり意味が
無いですし、×ばかりに目が
行ってしまうのも自分の自信
を無くすだけなのでダメ。


それならそんなものに支配
されずに、日々コツコツと〇
を感じていき、その〇が沢山
溜まったところで大きな◎と
なればそのほうが人生楽しい
というもの
です。






「引き寄せの法則」にも同じ
ようなことが書かれていると
思いますが、日々コツコツと
小さな〇でも良いので感じ
取り、良い気分を増やして
いくことでさらに〇や◎が
増えていくような気がします。

そして×や△の時にでも、
これはいずれ〇に繋がるのだ
と思えば、×や△でもなんて
ことないな
と思えるでしょう。


無理にポジティブになる
必要はないと思いますが、
日々の中で〇はしっかりと
感じ取ることは必要だと
思います。



▼関連記事
「ケガをして良かった」「病気に
なって良かった」という祖母の教え





posted by ごくう at 16:43 | Comment(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分が提供側か消費側かの自覚はある?この差はとても大きい。



様々なことに提供側の面と消費側
の面があります。サークル活動、
家のこと、仕事。友人関係、日々
の生活・・・etc。


これらほとんどのことで提供側
なのか、それとも消費側なのか
を意識する
必要があります。


例えばゲーム。私はゲームが好き
ですが、常に消費側です。自分で
ゲームを作ったことはないので
提供側になったことはありません。


あるいは家のこと。私は父親です
ので、家族で旅行に行くことを
提案したり、たまには外食でも
して何を食べようかと言ったり
することもあります。家では
提供側のことが多いですね。


と、こんな感じで自分が提供側
にいるのか、それとも消費側
にいるのか、そこを自覚する
必要があるのは、常に消費側
にしかいないと自分がいつの
まにか「いつもお客様」に
なってしまうから
です。


友人関係でも仕事でも家でも
「いつもお客様」意識の人は
どこか受け身で、そして平気
で文句を言ってくることが
多いです。例えば旅行に行こう
といっても「飛行機は嫌だ、
バスは嫌だ、〇〇が食べたい」

などと文句ばかり。自分では
手を貸さずに平気で状況を
コントロールしようとして
しまうのです。
このような人は基本的に提供側
にいない(なったことがない)
人です。






一度でも提供側にまわると、
「飛行機は嫌だ、バスは嫌だ」
とはなかなか言えません。
それは企画する側(提供側)の
気持ちが分かるから
です。
しかし提供側になったことが
ない、もしくは提供側の経験
が少ないと、どうしても消費側
の目線でしか見れなくなり、
ついつい簡単に文句を言って
しまうのです。


提供側の経験がなくても、せめて
提供側の気持ちは分かったほうが
いい。私はそう思っていますが、
これにはリーダーシップの経験
あればそれでたいてい分かると
思いますので、そういった意味
でも若いうちからリーダーシップ
を経験することはとても大事だ
と思います。


今の世の中は店だ、スマホだ、
ネットだ、と情報にあふれて
いますが、これは生きている
だけで消費側にまわることが
多いと言える
と思います。
消費側は提供側の人が事前に
用意してくれるのでラクですし
楽しいのですが、時には提供側
にまわり、提供側の気持ちも
理解しないとまずいでしょう。
今の世の中はこのあたりを
注意して生きていかないと
いけないのかもしれませんね。


▼関連記事
ハタをラクにするから「働く」。
自分がお客様意識になっていないか
注意する。





posted by ごくう at 00:11 | Comment(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年02月19日

「人情がある」とは、真摯さと公平さが伴っている情のこと



よく「人情がある」とか「人情が
無い」と言いますが、この「人情」
とは一体何なのでしょうか。


ネットで調べてみると


・人間の自然な心の動き。人間のあり
 のままの情感。
・人としての情け。他人への思いやり。

引用:コトバンク


とあります。


この言葉の意味は全くその通りだと
私は思います。これを改めて考えて
みますと、つまりは「人情がある」
とは、人に対して真摯さがあって、
かつ公平さがあること
ではないか、
と感じます。






というのは、「人情が無いな」
「こいつは人情より私情で動いて
いるな」という人を見ていると、
人に対して真摯さが無く、かつ
公正さも無い。
つまり「他人への
思いやりがない」のです。


ところがこのような人ほど「人を
助けたい」「人の面倒をみたい」
という人がいるもので、これを
人情だと勘違いしている人が
少なからずいる
のですが、これは


自分より下だと思う人に対して
助けたい、面倒を見たい


という、自分都合の特定の人への情
であり、これは人情とは呼ばない
はずです。


このような人は人情ではなく私情
が強く働いており、そこに真摯さ
や公平さはまずありません。

あるのは自分目線の、自分が上に
立ってるんだぞ〜!という意識が
ベースの情なのです。(このよう
な人は「自分が上だぞ!」という
空気を出さないで接近してくる
ので、そこが厄介なのですが。)






本当の人情とは、特定の誰かに
対して発揮されるものではなく、
全方位的に発揮されるもの。

しかもそれは無理が無く自然で
あり、決して上から目線である
ものではありません。人情と
私情を履き違えている人って
意外と多く、また見分けが
つきにくいと感じる人もいる
かもしれませんが、真の人情
には真摯さと公平さが伴う、

と覚えておけばまず間違いない
と私は思います。


▼関連記事

私情と人情を履き違えない

私情はコントロール、
人情は脱コントロール





posted by ごくう at 23:21 | Comment(0) | 脱コントロール思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする