2016年11月05日

中学・高校の時に気付けば良かったと思うこと



私の長女は中学生なのですが、
現在まわりの友人と自分との
能力や性格の違いに、かなり
戸惑いや劣等感を抱いている
ようです。


今ちょうどテスト前の前の時期
なのですが、周りの子はみんな
自分より出来る、勉強以外に
関しても何でも出来るし色々
知っている、でも自分は勉強
は出来ないしスポーツも出来
ない。これといった取柄も無い。
何をやっても自分はダメだ、

こう言うわけです。





確かに娘は我が子ながらそれほど
勉強が出来るタイプでは無いと
思います。スポーツもどう考えて
も苦手。おしゃべりもうまくない。


ですが何事にもコツコツと取り
組むことができる
ので、もの
すごい成果を出すわけではない
ですが、一定(以上)の成果は
出しているのです。勉強もすごく
出来るわけではないですが、
平均かそれ以上には出来ている
のです。


しかし自分では出来ている感じ
がしないのです。



小さな時から自己肯定感が弱い
ところがある、と思っていまし
たが、中学や高校くらいの年齢
になるとそれが顕著に出てきて
しまっているのかもしれません。


私は親として、また一人の人間
として、「何もできないなんて
ことはない。お前は何事に対して
も自然とコツコツとやる能力が
あるし、それは粘り強さとも
言える。そういう人は最初は
要領が悪くうまくいかないかも
しれないが、要領をつかめれば
一気に伸びる可能性だってある
と思う。」
と言いました。
でも娘としてはそんなこと言わ
れても受け入れることができない
ものです。「自分は出来ない」
思い込んでいますから。





考えてみるとこれが反抗期と
いうものかどうかは分かりま
せんが、中学や高校くらいの
年齢の時にありがちな心理
状態
なのかもしれません。
私も中学・高校の時は本当に
劣等感の塊のようになること
が多かったです。何をしても
ダメ、ニキビだらけでルックス
にも自信が無い、そんなことを
毎日のように思っていました。


でもよく考えると「何にも無い」
なんてことのほうが有り得ない

のです。人には良い面と悪い面
があるのは当たり前ですから、


「すべてが良い、すべてがダメ」


なんていうことはまず無いですが、
中高生あたりの精神年齢だとどう
しても自分自身で極端なレッテル
貼りをしてしまいがち
なのでしょう。


私も中学の時は部活(バスケ部)で
パッとせず、しかもケガに悩まされ
中2の冬に辞めてしまっています。
今思えばたとえ見学だけでもいいから
部活を続ければ良かったと後悔して
いるのですが、その時の気持ちは
「自分なんかいても仕方がない。
いるだけでつらいから辞めよう。」

というものでした。


また趣味でも音楽にそれほど興味
が無かったのですが、周りは音楽
に詳しいヤツばかりで自分は置いて
きぼりを喰らったような感じ

なったものでした。





40代になった今思うと、本当に
「小さな悩み」です(笑)。
部活はそもそもそれほどうまく
なかったので、元々いてもいな
くても一緒でしたし、趣味だって
皆違って当然ですし。


でも中高生の時というのはそれが
割と深刻な悩みだったりするわけ
です。



けど逆に言うと、中高生で周りとの
比較や違いに悩み、壁にぶつかった
ほうが大人になってから生きやすい
んじゃないかな〜、
なんて思います。
やっぱりいいことも悪いことも、
その年齢でしか経験できないことは
その年齢で経験しておいたほうが
いいですから。


もし自分が中学・高校時代の自分に
アドバイスするなら、


「自分が思っているほどそんなに
悪いもんじゃないよ。もっと自信
を持って、思い切って行ったほう
がいい。」


「他人に惑わされるな。自分の
やりたいこと、好きなことを
素直にやっていけばそれでいい。」



という感じですかね。まあ自分が
中高生の時にそんなこと言われても
絶対理解できないと思いますけどね。



posted by ごくう at 10:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月30日

良い言葉:虚栄を満たすには他者を必要とするが、誇りは他者を必要としない。



タイトルの言葉は『夜と霧』
で有名なV.Eフランクルの言葉
です。フランクルは心理学者
でもありロゴセラピー(実存
分析)でも有名な方です。


この記事のタイトルは省略
してますので、ちゃんとした
言葉を書きますと、


-------------------------
虚栄と誇りは違う。
虚栄を満たすには他者を
必要とするが、誇りは
他者を必要としない。

誇りとは、他者ではなく
自らを征服した者の、
内的な真の自信なのである。
--------------------------



になります。

この名言にはとても深い
意味があり、またとても
良い言葉だと思いました
ので今日はそれについて
書きたいと思います。





自分の虚栄心を手っ取り早く
満たすには、自分より下の
人を見つけたり、自分より
下の人を作ればすぐに虚栄心
を満たすことができます。


しかし自分より下がいること
で精神的に安心し、人生で
満足感を得ることができる
のならば、果たしてそれで
良いのでしょうか。


こうして自分より下を探して
付き合っていくことで虚栄心
は一時は満たせるかもしれま
せんが、これはいずれ行き詰
まる可能性が高い
と言えます。


というのも「自分を相手より
下に見られたい」という人は
稀ですし、また若いうちは
それでもいいやという人でも
正常に年齢を重ねていけば
「自分にもできる」という
領域が広がっていくので、
自分に自信がついていくもの
です。このように正常に年齢
を重ねていった人にとって、
自分を下に見てくる人など
必要ではない
ですし、一緒に
いても不快になるだけ
です
から、一緒にいたくはない
のです。


また自分より下の人を探して
ばかりいる人は自分自身を
客観視したり成長したりする
ことがなかなかできません。

自分より下を作ることで安心
を得ることは「虚栄」であり
「実栄」ではないので、いつ
まで経っても成長することは
できないのです。

(※虚栄の対義語は実栄とは
言わないでしょうが、ここでは
実栄としておきます。)





素直に虚栄を求めることを辞め
実栄を求めていけば、自分自身
が成長するしかないのだ、自分
より下の人とやたらと接して
いてもしょうがないのだ、

気付くはずなのですが、手っ取り
早く手に入る虚栄で満足すること
を覚えてしまうと、なかなか
実栄のために自分自身を成長
させてやろう、自分を征服して
いこう、
という考え方にはなら
ないのかもしれません。


しかし悲しいかな、虚栄では
いつかボロが出てしまうのです。

所詮は虚栄だから、と言って
しまえばそれまでですが、
自分が虚栄に満足していても
(ごまかせると思っていても)
世間の人は虚栄と実栄を見抜く
目を持っています
から、虚栄が
自然に消滅していくのは仕方が
ないことなのです。






他人をそれほど必要としない
実栄を手に入れれば(実栄を
目指す方向で生きていけば)、
必要以上に他人の目など気に
ならなくなります
し、自分の
人生を自分でより良くしていく、

という感じで精神的にも自立
(自律)できている人間に
なっていく
のだと思います。


しかし自分も他人にも虚栄を
認め、虚栄でいいやとごまかし
続けている人には、周りに
まともな人が集まってきません。
フランクルの言う通り、虚栄は
しょせん他人あっての虚栄なの
です。
しかし実栄は他人があろう
となかろうと実栄です。



それならば他人に左右されない
実栄(=他者ではなく自らを征服
した者の、内的な真の自信)

目指していったほうが、よほど
良い人生が送れるのではないか
と私は思います。



posted by ごくう at 21:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月27日

私情と人情を履き違えない



最近このブログでは色々間違い
やすいことに注意するための
ネタを書いてきました。


例えば・・・


「好き/嫌い」と「良い/悪い」を
混同しない

http://bit.ly/2fai5fH


「情に頼る」人は「情に厚い」人を
利用しようとする

http://bit.ly/2eUQKcv


などです。「好き嫌い」「情に厚い」
などは何かと都合のいいように
捉えられる傾向があるので、特に
注意が必要かと思います。


今回もこのようなよくある間違い
(自分の都合のいいように解釈して
しまう間違い)を書こうと思います。



それは


「私情と人情を履き違えない」


ということです。





人と人との関係では人情が大事、
などと平気で言う人がいますが、
このような人に限って実は人情
ではなく私情が大きく勝っている、

ということがよくあります。


商売でも人間関係でも人情は確かに
大事だと思いますが、この人情が
強くなりすぎるとただの私情に
なります。
私情になってしまうと
どうしても公平に扱うことができ
なくなってきます。お互いに私情
の関係(ベッタリな関係)になって
しまうと、客観性や公平性に欠け、
周りから見ると「??」な状態
なのですが、私情が強い関係だと
その周りの目すら分からなくなって
しまいます。



そうすると自分たちは人情だと
思っていても、周りからすると
「それはただの私情だろう!」
と思われてしまい、それで大きな
損をしてしまうのです。





だいたいどんな関係性でも、
本当に人情のある人はいちいち
「人情」「人情」と言いません。

そんなものはわざわざ口にする
ものではなく、当たり前のこと
だからです。


しかし人情と私情の区別がついて
いないような人ほど、やたらと
「人情」「人情」と言います。
このような人の多くは人情では
なく私情を挟むことが多い、と
私は経験的に思っています。


私が社会人になってよく見るのは


「(零細企業の経営者が)大企業
は人情が無いから嫌い。私の会社
には人情がある。」と自信満々に
語っているのに、やたらと離職者
が多い。

→社内の人事は仕事の出来不出来
ではなく好き嫌いで決めている。
(私情を挟みまくっている。)



とか、


あいつは仕事をよくやっている。
だから昇格させよう。

→実はあまり仕事ができていないが
(周りの評判もそれほどではないが)
自分を脅かす存在ではないので、
より言うことを聞かせるために
昇格させよう。(完全に私情優位)



というようなパターンです。
まあ一概に私情優位とは言えない
パターンもあるとは思いますが、
やはり私情が優位になりすぎると
周りからの信用がなくなる
という
ものです。


自分は人情でやっていると思って
いても、それはただの思い込みで
実は私情ではないか・・・。


このような自己チェック機能が
大事かと思います。



posted by ごくう at 21:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月10日

「せっかくの休みだったのに、結局何にもしていない」とボヤく人へ。



今日で3連休も終わりです。
明日からまた仕事や学校が
始まりますね。


このような3連休や普段の土日、
お盆休みやゴールデンウィーク
などの休みが終わると、よく


せっかくの休みだったのに
何にもしていない(何にも
出来なかった)



という言う人がいます。


休みの前は「あれをやろう、
これもやろう」
と計画を
立てていたのかもしれません
が、実際休みになると寝て
一日が終わってしまったり、
溜まっていた洗濯や掃除だけ
で終わり、なんていうことは
よくあることです。
もっと言えば、寝てもいないし
洗濯も掃除もしていない、今日
は何をしていたのかよく分から
ない、
そんな休日もあると思い
ます。





このような休日を過ごすと
何だかせっかくの休みが
無駄に消えてしまった気が
して、とてもブルーになる
こともあります。


でも、休みの日って本当に
早く時間が過ぎるんですよね。

学校や仕事の1日は長いのに、
休みの日は「え?もう終わり?」
と感じますからね。


だから休みだったのに、
結局何にもしてない、
あ〜あ、つまんない休み
だったな、なんてボヤき
たくなる気持ちも分かり
ますが、それはそれで
「何もしない」という日が
必要だった、ということ
かもしれません。
いくら
休みだといってもそんなに
頻繁に予定があるもんでも
ないでしょうし、また
「何もしない」からこそ
心身共に充電できるという
こともありますから。





考えてみれば私が学生の頃
なんて本当に暇でした。

当時の自分は色々取り組んだり
した気になっていましたけど、
41歳の今の自分から見れば
小学校も中学校も高校も
暇な休日のほうが圧倒的
に多かった
ですね。


若いうちこそ、そういう
暇な時間は大事だと思うの
です。純粋に自分を振り
返ったり、いろいろなこと
に試行錯誤したりして壁に
ぶち当たっていける時代と
いうのは若い時にしか
できないですから。


遊んだり出かけたりする
休みも大事ですけど、
「何もしない休み」と
いうのも実は大事。

そんな感じがします。



タグ:生きる力
posted by ごくう at 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月02日

苦しい浪人生活で気付いた「心のバネの法則」



私は大学受験で失敗し浪人生活を
送った経験があります。


浪人生活といっても実家から予備校
に通ったのではなく、予備校が紹介
してくれた下宿先で過ごしながら
1年間の浪人生活を送りました。


その下宿先は自分を入れて5人の
寮生しかいない小さな下宿先でした。
朝晩の食事こそ出るもののトイレと
洗濯機は共同、風呂は無いので近く
の銭湯に行っていました。テレビは
もちろん禁止です。とにかくひたすら
勉強するためだけの下宿先
でした。


今思えば「浪人生活」なのだから
勉強に専念するのが当たり前なの
ですが、若い当時はテレビも見れ
ない、風呂も銭湯しかない、など
はかなりのストレスでした。
実家から出て浪人までさせて
もらっているのに、贅沢というか
わがままというか、今からすれば
「甘ったれている」と思います。





浪人生活はもう「後が無い(2浪
は絶対無い)」状態でしたので
さすがに勉強しました。予備校
にはもちろん毎日行きましたし、
予備校の授業が終わった後は
自習室で勉強をして、下宿先の
夕飯までには帰り、夕食後は
銭湯に行って、その後は21時
から24時まで勉強、とそんな
感じの毎日でした。


しかしいくら「浪人生活」とは
いえ、私はあることに気付き、
そして守りました。


それは


「週1回(日曜日)は(模試など
を除き)絶対に勉強をしない」



ということです。


浪人生活は勉強が仕事ですから、
基本的には睡眠・食事・風呂等
の時間以外はすべて勉強です。


多少の娯楽(マンガを読む)は
ありましたが、それでも週30分
程度でしょう。とにかく勉強、
勉強、勉強・・・・!。



でも、いくら自分のためとは
いえ、それだけ勉強をやって
いたらどこかおかしくなります。


その「おかしくなる」ところの
一歩手前あたり(臨界点)までは
勉強しないと自分の希望する大学
には入れない、と感じていました。
(あまり成績が良くなかったので)





浪人生活を2〜3か月やってみて
分かったのは、自分の場合は
週1日、それも日曜日だけは
基本的に勉強から離れたほうが
いい、そうしないと臨界点を
超え、「心のバネ」が伸び
きってダメになってしまう。



そう自覚したのでした。


また私の性格からして、日曜を
完全にオフにすることは、平日
の5日間はサボれないなという
心理になります。日曜は休んで
るから平日を頑張らないと抜か
れてしまう
、そう思うタイプ
なのです。


逆に日曜をガッツリ勉強して
しまうと「日曜にあれだけ勉強
したんだから、平日ちょっと
くらい休んだって大丈夫だろう

という性格でもあります。


このような自分の臨界点と性格を
踏まえた上で


「週1回(日曜日)は(模試など
を除き)絶対に勉強をしない」



というルールを自分に設定した
のです。


結果的にはこれはうまくいきました。


もっと言うと、今でもこの経験は
十分に「生きています」。



仕事でもやはり「心のバネ」のような
ものがあって、自分の中で


「だいぶバネが伸びてきたな」


と感じたら意識的に気分転換をしたり
休んだりしています。


こうすることで「心のバネ」が伸び
切る前に戻っていくので、また安心
して仕事等の課題に取り組めるのだ
と思っています。


まあ今思えば18、9歳でこんなこと
をよく考えていたので38歳の時に
「産業カウンセラー」の資格を
取ったのかもしれません。勉強でも
仕事でも心理学は意外と役立つこと
が多いですからね。


これからも「心のバネ」を意識して
伸び切ってしまわないように注意
したいと思います。伸び切って
しまうとなかなか元に戻りません
から・・・。




posted by ごくう at 23:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする