2016年11月19日

「長く続く関係の人」とはこういう人だと思う



生きていく上で人間関係という
のは、子供も大人も色々とある
ものです。友人、恋人、同僚、
家族、夫婦、どんな関係で
あっても「うまくいく」
いうことはなかなか難しい
ことだと思います。


私も40代になり、人間関係に
ついては若い頃と比べると
ある程度うまくなってきたと
自分では思っています。
これは自然に身に着けてきた
経験ということもありますし、
38歳の時に産業カウンセラー
の資格を取ったことも大きい
と思います。


それでもやっぱり人間関係が
原因でストレスを感じること
もあります。



ではどういう人間関係が自分
にとって良好なのか、今回は
それについて書きたいと思い
ます。





私が「良い人間関係」と思う
人は、例えば食事に誘って
断られたとしても「お互い
何の後腐れも感じない人」
です。


食事に断られたとしても
お互いに信頼関係があれば
別に何とも思いません。
またここも大事なのですが、
お互いに人として自信が
あれば、
断ったとしても
それほど変な感じにはなら
ないのだと思います。


もしこれがお互い信頼関係
もなく、自分に自信も無い
人だったら、食事に誘って
断られたくらいでもかなり
イヤ〜な空気になる
と思い
ます。


それは食事に誘ったことで
自分の価値を自分で測って
しまっている、ということ
もあると思います。


食事に行くか行かないかで
自分と相手に信頼関係は
あるか、自分の自信が傷
ついたりしないか、そう
考えてしまっている時点で、

もしかしたらその相手とは
良い関係、つまり長く続く
関係にはなれないのかも
しれません。





長く続く関係、つまり良い
関係が続く相手というのは、
お互いが「自然な感じ」
あることが多いのです。
自分と相手が50:50という
感じが多いので、どちらかが
我慢しなくてはならないと
いうことが少ない
のです。
相手と会って我慢しないと
いけない割合が多ければ多い
ほどストレスが溜まります
から、それで良い関係を築く
のは難しいですよね。


お互い何となくでも信頼関係
が出来ていれば、お互いが
違う意見をサラッと言える
はずです。またお互いが
人としてキチンと自信を
持てる人間ならば、相手と
違う面を見せてもそんなに
気まずくならないはずです。


相手の機嫌を損ねないように
しないといけない。

相手と同じような考え方を
しないといけない。


そんなことを常に考えながら
人間関係を構築しようとして
いるのだとしたら、それは
やはり長く続く関係には
なれない。これは友人でも
恋人でも同僚でも同じだと
思います。


関係を無理に長く続ける必要は
無いと思います。というより、
長く続けようと思って続ける
人間関係はあまりないと思い
ます。
先にも書きましたが、
長く続く関係の人というのは
何かと後腐れなく自然な感じ
なのです。



posted by ごくう at 22:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年11月10日

日々の「良い出来事」を感じとり、それをしっかり噛みしめていく



「毎日毎日〇〇がイヤだな〜」


「私の人生にはいいことなんか
まるで無い。あ〜あ、人生って
なんでこんなに不公平なの?」


「今日は全然いいことが無かった。
本当についてない日だった。」



こんなボヤキを聞くことがあります。
かくいう私もついこんなことを言って
しまう時があります。特に仕事で
疲れた時なんかはひどいボヤキが
出てしまいがちです(反省)


毎日生きていて、いいことばかり
起こるわけではありません。でも
悪いことばかりが起こるわけでも
ありません。



けれど悪いことが続くと、なんと
なく「自分の人生は人と比べて
あまり良い人生ではないのでは
ないか」「自分は不運なのでは
ないか」
などと考えてしまう
ものです。





毎日どんなにイヤなこと・悪い
ことがある感じだとしても、
日々の中には何らかの「良い
出来事」が必ずある
ものです。


どんなに小さくても、ささい
であっても「良い出来事」は
「良い出来事」。
これを日々
自分でちゃんと感じとって、
それを噛みしめていくように
習慣化していったほうがいい
です。


というのも「悪い出来事」
ばかりを噛みしめていくと、
やっぱり「悪い出来事」を
呼び込みやすくなっていく
ものです。脳が「悪い出来事」
に反応しやすくなってしまう

んですね。


それなら「悪い出来事」を
噛みしめるのではなくて、
「良い出来事」を噛みしめ
ていくほうがいいに決まって
ます。そうすれば脳が「良い
出来事」の方に反応しやすく
なって、自然と自分のまわり
の「良い出来事」をキャッチ
しやすくなっていく
のです。






少しずつでも「良い出来事」を
キャッチできるようになれば
しめたものです。「悪い出来事」
が起こったとしても、無理に
(意図的に)「目先の良い出来事」
を起こしてやろう(例:パチンコ
で当たりを狙う、キャバクラに
行ってチヤホヤしてもらう、
暴飲暴食でウサばらい等)
とはしなくなるからです。
(そんなことをしてもあまり
意味が無いと気付くのです。)



そもそも無理に(意図的に)
「良い出来事」を自分で起こす、
なんてこと自体がおかしな
こと。そんなことをして
いるほうが無理がたたって
結局「悪い出来事」が起きて
しまう
という感じがします。





それよりも日々の小さな
「良い出来事」をキャッチ
して、それをキチンと噛み
しめていくほうが、よほど
精神的にもお財布的にも
「良い出来事」に繋がって
いく
感じがします。
「良い出来事」を感じ取り
コツコツと身に着けていく
ことで、それが次第に習慣化
していく。そしてそれが自分
の身に還ってくるのです。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


どんなに小さくてもいいから
日々の「良い出来事」を感じ
とって、それを噛みしめる。
そして「悪い出来事」が
起きたら
その原因を分析して
反省するまではいいですが、
出来る限り噛みしめない。
こうしていくことで「良い
出来事」をキャッチしやすい
体質
になり、気持ちのいい
毎日を送れるようになって
いくのだと思います。



posted by ごくう at 23:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年11月05日

中学・高校の時に気付けば良かったと思うこと



私の長女は中学生なのですが、
現在まわりの友人と自分との
能力や性格の違いに、かなり
戸惑いや劣等感を抱いている
ようです。


今ちょうどテスト前の前の時期
なのですが、周りの子はみんな
自分より出来る、勉強以外に
関しても何でも出来るし色々
知っている、でも自分は勉強
は出来ないしスポーツも出来
ない。これといった取柄も無い。
何をやっても自分はダメだ、

こう言うわけです。





確かに娘は我が子ながらそれほど
勉強が出来るタイプでは無いと
思います。スポーツもどう考えて
も苦手。おしゃべりもうまくない。


ですが何事にもコツコツと取り
組むことができる
ので、もの
すごい成果を出すわけではない
ですが、一定(以上)の成果は
出しているのです。勉強もすごく
出来るわけではないですが、
平均かそれ以上には出来ている
のです。


しかし自分では出来ている感じ
がしないのです。



小さな時から自己肯定感が弱い
ところがある、と思っていまし
たが、中学や高校くらいの年齢
になるとそれが顕著に出てきて
しまっているのかもしれません。


私は親として、また一人の人間
として、「何もできないなんて
ことはない。お前は何事に対して
も自然とコツコツとやる能力が
あるし、それは粘り強さとも
言える。そういう人は最初は
要領が悪くうまくいかないかも
しれないが、要領をつかめれば
一気に伸びる可能性だってある
と思う。」
と言いました。
でも娘としてはそんなこと言わ
れても受け入れることができない
ものです。「自分は出来ない」
思い込んでいますから。





考えてみるとこれが反抗期と
いうものかどうかは分かりま
せんが、中学や高校くらいの
年齢の時にありがちな心理
状態
なのかもしれません。
私も中学・高校の時は本当に
劣等感の塊のようになること
が多かったです。何をしても
ダメ、ニキビだらけでルックス
にも自信が無い、そんなことを
毎日のように思っていました。


でもよく考えると「何にも無い」
なんてことのほうが有り得ない

のです。人には良い面と悪い面
があるのは当たり前ですから、


「すべてが良い、すべてがダメ」


なんていうことはまず無いですが、
中高生あたりの精神年齢だとどう
しても自分自身で極端なレッテル
貼りをしてしまいがち
なのでしょう。


私も中学の時は部活(バスケ部)で
パッとせず、しかもケガに悩まされ
中2の冬に辞めてしまっています。
今思えばたとえ見学だけでもいいから
部活を続ければ良かったと後悔して
いるのですが、その時の気持ちは
「自分なんかいても仕方がない。
いるだけでつらいから辞めよう。」

というものでした。


また趣味でも音楽にそれほど興味
が無かったのですが、周りは音楽
に詳しいヤツばかりで自分は置いて
きぼりを喰らったような感じ

なったものでした。





40代になった今思うと、本当に
「小さな悩み」です(笑)。
部活はそもそもそれほどうまく
なかったので、元々いてもいな
くても一緒でしたし、趣味だって
皆違って当然ですし。


でも中高生の時というのはそれが
割と深刻な悩みだったりするわけ
です。



けど逆に言うと、中高生で周りとの
比較や違いに悩み、壁にぶつかった
ほうが大人になってから生きやすい
んじゃないかな〜、
なんて思います。
やっぱりいいことも悪いことも、
その年齢でしか経験できないことは
その年齢で経験しておいたほうが
いいですから。


もし自分が中学・高校時代の自分に
アドバイスするなら、


「自分が思っているほどそんなに
悪いもんじゃないよ。もっと自信
を持って、思い切って行ったほう
がいい。」


「他人に惑わされるな。自分の
やりたいこと、好きなことを
素直にやっていけばそれでいい。」



という感じですかね。まあ自分が
中高生の時にそんなこと言われても
絶対理解できないと思いますけどね。



posted by ごくう at 10:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月30日

良い言葉:虚栄を満たすには他者を必要とするが、誇りは他者を必要としない。



タイトルの言葉は『夜と霧』
で有名なV.Eフランクルの言葉
です。フランクルは心理学者
でもありロゴセラピー(実存
分析)でも有名な方です。


この記事のタイトルは省略
してますので、ちゃんとした
言葉を書きますと、


-------------------------
虚栄と誇りは違う。
虚栄を満たすには他者を
必要とするが、誇りは
他者を必要としない。

誇りとは、他者ではなく
自らを征服した者の、
内的な真の自信なのである。
--------------------------



になります。

この名言にはとても深い
意味があり、またとても
良い言葉だと思いました
ので今日はそれについて
書きたいと思います。





自分の虚栄心を手っ取り早く
満たすには、自分より下の
人を見つけたり、自分より
下の人を作ればすぐに虚栄心
を満たすことができます。


しかし自分より下がいること
で精神的に安心し、人生で
満足感を得ることができる
のならば、果たしてそれで
良いのでしょうか。


こうして自分より下を探して
付き合っていくことで虚栄心
は一時は満たせるかもしれま
せんが、これはいずれ行き詰
まる可能性が高い
と言えます。


というのも「自分を相手より
下に見られたい」という人は
稀ですし、また若いうちは
それでもいいやという人でも
正常に年齢を重ねていけば
「自分にもできる」という
領域が広がっていくので、
自分に自信がついていくもの
です。このように正常に年齢
を重ねていった人にとって、
自分を下に見てくる人など
必要ではない
ですし、一緒に
いても不快になるだけ
です
から、一緒にいたくはない
のです。


また自分より下の人を探して
ばかりいる人は自分自身を
客観視したり成長したりする
ことがなかなかできません。

自分より下を作ることで安心
を得ることは「虚栄」であり
「実栄」ではないので、いつ
まで経っても成長することは
できないのです。

(※虚栄の対義語は実栄とは
言わないでしょうが、ここでは
実栄としておきます。)





素直に虚栄を求めることを辞め
実栄を求めていけば、自分自身
が成長するしかないのだ、自分
より下の人とやたらと接して
いてもしょうがないのだ、

気付くはずなのですが、手っ取り
早く手に入る虚栄で満足すること
を覚えてしまうと、なかなか
実栄のために自分自身を成長
させてやろう、自分を征服して
いこう、
という考え方にはなら
ないのかもしれません。


しかし悲しいかな、虚栄では
いつかボロが出てしまうのです。

所詮は虚栄だから、と言って
しまえばそれまでですが、
自分が虚栄に満足していても
(ごまかせると思っていても)
世間の人は虚栄と実栄を見抜く
目を持っています
から、虚栄が
自然に消滅していくのは仕方が
ないことなのです。






他人をそれほど必要としない
実栄を手に入れれば(実栄を
目指す方向で生きていけば)、
必要以上に他人の目など気に
ならなくなります
し、自分の
人生を自分でより良くしていく、

という感じで精神的にも自立
(自律)できている人間に
なっていく
のだと思います。


しかし自分も他人にも虚栄を
認め、虚栄でいいやとごまかし
続けている人には、周りに
まともな人が集まってきません。
フランクルの言う通り、虚栄は
しょせん他人あっての虚栄なの
です。
しかし実栄は他人があろう
となかろうと実栄です。



それならば他人に左右されない
実栄(=他者ではなく自らを征服
した者の、内的な真の自信)

目指していったほうが、よほど
良い人生が送れるのではないか
と私は思います。



posted by ごくう at 21:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年10月27日

私情と人情を履き違えない



最近このブログでは色々間違い
やすいことに注意するための
ネタを書いてきました。


例えば・・・


「好き/嫌い」と「良い/悪い」を
混同しない

http://bit.ly/2fai5fH


「情に頼る」人は「情に厚い」人を
利用しようとする

http://bit.ly/2eUQKcv


などです。「好き嫌い」「情に厚い」
などは何かと都合のいいように
捉えられる傾向があるので、特に
注意が必要かと思います。


今回もこのようなよくある間違い
(自分の都合のいいように解釈して
しまう間違い)を書こうと思います。



それは


「私情と人情を履き違えない」


ということです。





人と人との関係では人情が大事、
などと平気で言う人がいますが、
このような人に限って実は人情
ではなく私情が大きく勝っている、

ということがよくあります。


商売でも人間関係でも人情は確かに
大事だと思いますが、この人情が
強くなりすぎるとただの私情に
なります。
私情になってしまうと
どうしても公平に扱うことができ
なくなってきます。お互いに私情
の関係(ベッタリな関係)になって
しまうと、客観性や公平性に欠け、
周りから見ると「??」な状態
なのですが、私情が強い関係だと
その周りの目すら分からなくなって
しまいます。



そうすると自分たちは人情だと
思っていても、周りからすると
「それはただの私情だろう!」
と思われてしまい、それで大きな
損をしてしまうのです。





だいたいどんな関係性でも、
本当に人情のある人はいちいち
「人情」「人情」と言いません。

そんなものはわざわざ口にする
ものではなく、当たり前のこと
だからです。


しかし人情と私情の区別がついて
いないような人ほど、やたらと
「人情」「人情」と言います。
このような人の多くは人情では
なく私情を挟むことが多い、と
私は経験的に思っています。


私が社会人になってよく見るのは


「(零細企業の経営者が)大企業
は人情が無いから嫌い。私の会社
には人情がある。」と自信満々に
語っているのに、やたらと離職者
が多い。

→社内の人事は仕事の出来不出来
ではなく好き嫌いで決めている。
(私情を挟みまくっている。)



とか、


あいつは仕事をよくやっている。
だから昇格させよう。

→実はあまり仕事ができていないが
(周りの評判もそれほどではないが)
自分を脅かす存在ではないので、
より言うことを聞かせるために
昇格させよう。(完全に私情優位)



というようなパターンです。
まあ一概に私情優位とは言えない
パターンもあるとは思いますが、
やはり私情が優位になりすぎると
周りからの信用がなくなる
という
ものです。


自分は人情でやっていると思って
いても、それはただの思い込みで
実は私情ではないか・・・。


このような自己チェック機能が
大事かと思います。



posted by ごくう at 21:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする