2018年05月05日

とても良い記事:「感謝を言わない人」は“必ず失う”という話



「ありがとう」という言葉は
幼稚園の頃に教わる言葉ですが、
大人になるほど「ありがとう」
を言うことが減る人がいます。


中高年になると「ありがとう」
なんて言わないのが当たり前で、
若手の奴がオレに対して言えよ、
という態度の人もチラホラ。
これではマズイですよね、人と
して・・・。







こちらの記事は感謝を言わない
人について書かれています。

逆に相手を問わず感謝する時に
感謝の言葉を言えばいかに良いか、
そのことが書いてあるのですが、
このことはいくつになっても、
またたとえ自分が偉くなったと
しても、決して忘れないように
したいものです。



▼記事はこちら

「感謝を言わない人」は“必ず失う”
という話







posted by ごくう at 22:22 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年04月30日

感じの良い50代になるために若いうちからやるべきこと



私は今40代ですが、年をとるに
つれ


ああ、年をとるって案外難しいな


と思います。


というのも・・・年をとるごとに
性格が悪くなっていく人も結構
いるので(笑)。


これはもう子供の頃からずっと
「何で年寄りは性格悪い奴多い
んだろ?」
と思っていたのですが、
最近その理由が分かりました。
今回は20代、30代、40代と年代
ごとに書きたいと思います。






20代は基本的に仕事も人生も何かと
「まっすぐ」。経験も少ないですし
「まっすぐ」な故に失敗もつきもの
ですが、それでもたくさんのことを
吸収していく大事な時期。


そして30代は20代の経験を踏まえ
つつ、さらに色々とチャレンジして
みる年代
だと思います。この年代も
成功やら失敗やら色々あると思い
ますが、これらはすべて自分の器を
大きくする要因となります
ので、
基本的に無駄なことはないかと。


そして40代。ある意味ここが分岐点。
20代、30代とキチンとやってきた
人にとっては40代は力を存分に発揮
したり、さらに力を蓄えたりする
(マネジメントスキル、ヒューマン
スキルなど)時期。


しかしながら20代、30代をキチンと
やってこなかった人は、基本的に
斜に構えている
からか、40代は
めちゃくちゃ力を発揮しにくい。

というか20代(まっすぐに)、
30代(色々な経験)をまともに
やってこなかった人は、40代は
もはや斜に構えるしかない(笑)。

なぜなら下の世代もそれなりに
力を付けてくるし、自分の世代は
バラツキが激しくなる世代だし、
で、自分の立ち位置が微妙に
なってしまう人が多いのが40代。


20代にまっすぐな姿勢を身に着けて
いる人は、40代でもまた新たな
ステージ(管理職等)でもまっすぐ
に取り組もうとするから、こういう
人は若い世代からも支持されやすい

ですが、そうじゃない斜に構えて
批判ばかりしているような人は、
自分のポジションに不満たらたらで
文句ばかり言っているのだけ。
だからモチベーションの高い若い
世代からは支持されない。



40代はそういう意味で20代、30代
までの中間決算的な年代であり、
その中間決算によって色々見たく
ないものまでまざまざと見せつけ
られてしまう
ので、何かと問題が
起きやすい年代なんだと思います。


この中間決算の40代でキチンと
やっていることができれば、清々しい、
気持ちの良い50代になれるのでは
ないでしょうか。



自分が見てきた50代の人で
「あ、この人感じいいな」
と思わせてくれる人は、たいてい
40代がうまくいっていそう
です。


でも40代がうまくいくためには
20代・30代をしっかりやらないと
ダメなわけで、結局感じの良い
40代、50代というのはもう20代
からの蓄積そのもの
なんですね。


そう考えると40代、50代で
いきなり「感じの良い中年になり
ました」ということはあり得ない
わけで、結局のところ若いうち
からの蓄積、つまりこれこそが
「器」かと。


自分は20代の頃はこんなことは
まったく意識をしていなかったの
ですが・・・、もっと早く気付く
べきだったと思います。どうせ
年を重ねるなら、感じの良い中年
になりたいですからね。




posted by ごくう at 22:48 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年04月28日

「同じ」になろうとする人は結局信用されない



私が仕事をしている同僚の中に、
忙しくなると手伝ってくれようと
するのはいいのですが、常に
まわりの人と同じ仕事をしようと
してしまう人がいます。


同じ仕事をしてくれることで
とても助かることもあるのですが、
常にそうとは限りません。


例えば今Aさんが「B」という
仕事で大変で「C」が滞っている
から「C」にヘルプに入ろう、
とか、Aさんは「B」で手一杯
だけど自分では何をしたらいいか
わからないので
「何かやれることはありますか?」
と聞く、とか、そういう感じでは
なく、


常に「B」を手伝おうとする


のです。


この人を見ていますと、これは
仕事に限ったことではなく、何事
にも「同じ」になろうとしている
感じがします。



自分が野球観戦が好きなら相手も
野球観戦を求める


周りがAということで話題になって
いたら自分もAを始める



という感じで、人は周りからの
影響を受けつつ生きていくもの
ですが、その程度が激しい
いうか、とにかく相手(周り)と
同じになろう、同じになろうと
してくるのです。






そんなおり、その人を見てある若い
人が私にこう言いました。


「Pさん(同じになろうとしてくる
人)って変ですよね。Pさんは40代
なのに、20代の私に仕事のことで
まったく同じ視点で見てくる。
普通40代だったら40代の視点で意見
とかアドバイスしてきませんか。

それが20代の私の見方と全く同じ
なんですよ・・・?」


このPさんは精神年齢が20代である
とか、そういう可能性もありますが、
それよりも


相手と同じ=良いこと・やさしい

相手と同じ見方=相手を理解している



と思い込んでいるという感じです。


この姿勢は最初はそれでも通用
しますが、それが次第に


何かこの人、変だな


という感じになってきます。


というのも


常に相手と同じなんて普通はあり
得ないから



です。






年代も経験もキャリアも違うのに、
相手と同じことばかり言ってくる
人なんて逆にあり得ない、という
ことです。


なのに「同じ」になろうとして
くる。これでは(最初は信用された
としても)結局は信用されません。


相手と違って当たり前。
「同じ」なんてことはあまりない
のが普通です。


「同感と共感は違う」といいますが
「同感しかない」とか「同感が異常に
多い」というのは変
です。
「同感しかない」人は結局信用され
ません。信用される人は、同感する
時は同感し、違う時は違うと言える
なのではないでしょうか。


▼関連記事
「共感」と「同感」は全く違う




posted by ごくう at 18:38 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年04月09日

「主語が自分でない人」とは関わらない方がいい



仕事をしていると


「〇〇をこうしてほしい」
「〇〇は何であるの?」
「〇〇は□□だからダメだ」


などと言う人がいます。


上記のように指摘している
点について間違いではない
ことが多い
のですが、でも
このように指摘しても周り
の人が動いてくれる人

動いてくれない人に分かれる
ことが多いです。


周りの人が動いてくれる人と
いうのは、普段から


自分が主語で動いている人が多い


です。


普段から自分が主語で仕事
をしているので、


「〇〇をこうしてほしい」

→自分ならこうする、
 こうやってみる。



「〇〇は何であるの?」

→確かによく分からない。
 だから自分が色々と確認
 してみる。それが分かった
 上で改善案を提案してみる。



「〇〇は□□だからダメだ」

→ダメだから自分が△△して
 みて、ダメを良くしてみせる。



という感じです。


普段からこういう思考・行動で
動いているので、周りもその
良い影響を受けて「じゃあこう
してみようか」
という流れに
なり、色々な知恵が集まって
実際に改善されていくのです。






しかし自分が主語で動くことは
なく、ただ評論家のようにモノ
を言っているだけの人だと、


「〇〇をこうしてほしい」

→自分は何もしない(できない)。
 けどアイデアだけは出したと
 思っている



「〇〇は何であるの?」

→よく分からないけど、面倒
 だから確認もしない



「〇〇は□□だからダメだ」

→その通りだけど指摘して
 いるだけで何もしない



という感じです。


こんな感じで「主語が自分で
ない人」は、何をやっても
つまらないでしょう。



反対に「主語が自分でやって
いる人」は、何をやっても
面白そう
に見えます。


これは仕事に限らず、学校でも
出会いでも同じだと思います。



仕事でも学校でも出会いでも、
自分が主語でいられることが
多い人は魅力的で面白い人が
多い
です。


反対に自分が主語でいられる
ことが少ない人は、受け身な
せいか魅力的ではなく、面白
くなさそうにしている人が
多い
です。


主語が自分でない習慣がついて
しまっている人は、なかなか
自分から変わることができま
せん。特に40代以降になると
その傾向は顕著なような気が
します。


そんな人とはあまり関わらず、
できる限り「主語が自分で
ある人」と関わった方が人生
プラスになるというもの。
主語が自分の人は、自分から
人生を面白くしている人。

主語が自分でない人は、自ら
人生をつまらなくしている人。

自分の人生ですから、面白い
方がいいに決まってますよね。


▼参考記事
「うだうだ言って何もしない人」
よりも「うだうだ言われてでも
何かしている人」のほうが、
ずっと偉い
――秋元祥治『20代に伝えたい
50のこと』





タグ:生きる力
posted by ごくう at 23:12 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年03月25日

「気遣い」と「絡む」は全然違う


会社で若いうちはよく上司や
先輩から「飲みに行こう」
「食事に行こう」
とお誘いを
受けるものです。


私も20代の頃はよくありました。


でも・・・、正直あまり気乗り
しないというか、楽しめないと
いうか、そんなに積極的に
「飲みに行きたい」とは思わ
ないこともよくありました。


まあこの「行きたい」「行きたく
ない」はその人の性格もあるで
しょうし(私はどちからというと
行かないタイプ)、相手(上司)
の性格や相性もあるでしょう。


よく考えると、20代のうちは
会社で色々教えてもらうのも
大事なのは分かるのですが、
20代であっても結構疲れてる
もの
なんですよね。


・仕事自体慣れてなくて疲れる

・会社の同期、学生時代の友人、
彼氏・彼女との付き合いに疲れる

・自分の趣味に疲れる(楽しくて
時間を忘れがちだから)



こんな感じが20代なんですよね。
だから仕事が終わってから上司と
飲みだなんて基本的にシンドイ
ものなんです。
(まあ行ったら行ったで「楽し
かった」「飲んで良かった」と
思うこともありましたが。)


自分が40代になって思うのは
若い子を飲みに誘うのは一種の
「気遣い」だと思っているんで
すね。


でも・・・、本当に「気遣い」
なら仕事中でも十分なんじゃ
ないかと思うのです。



まあ仕事中にしっかり「気遣い」
してくれる上司だったら、後腐れ
が無さそうなので飲みに誘われても
喜んで行きたくなるのですけど。






しかし問題は、飲みに行くことが
「気遣い」からではなく、一種の
「遊び」のような感覚
だったり、
自分の権力を誇示しようとする
人だったりする人だと「もう二度
と行かない」という気分なります。


このような行きたくなくなる人は
若い人に対して「気遣い」をして
いるのではなく、「絡む」ことが
良いことだと信じている人
だと
思います。


「気遣い」は相手の気持ちを考慮
しますが、「絡む」は自分優位、
相手の気持ちは二の次です。



でも・・・・年を取るにつれ
「気遣い」と「絡む」ことの
区別がつかないというか、
絡んでいれば自分は気遣いして
いるんだ
と勘違いしてしまう
人が多くなるような気がします。


きっと年を取って自分が気遣いを
受ける方がが多くなったからかも
しれませんが、やたらと若手と
絡みたがる人には注意が必要か
と思います。このような人は
今の自分が満たされておらず、
絡むことで自分を満たしている
ことが多いからです。



できた人は「気遣い」をし相手
を尊重する。
ダメな人は「絡む」
だけで相手を尊重していない。

(その証拠に一度でも乗って
くるとスッポンのように食い
つき、離れません。)



「絡む」ことがいいことだと
思っている年配者にならない
ように注意していきたいもの
です。




posted by ごくう at 11:03 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする