2018年08月12日

気遣いは人情、絡むのは私情


気遣いが大事と言われます。


相手のことを慮って、相手の立場に
なってものを考える。


これは本当に大事だと思います。


しかし私が思う本当の気遣いとは
私情無く相手のことを気遣う姿勢
のことだと思いますが、私情優先で


【自分は気遣いをしている】


という人が結構多いのでそれは
違うだろ、と思うのです。


本当の気遣い分け隔てなく、
誰に対しても行われる行動。

分け隔てがあるのは気遣いでは
なくただの絡みです。






自分が絡みたくて相手に対して
気を遣うのは完全に私情です。
でも本当の気遣いは私情が無く
人情で動いているものです。


私情と人情を履き違えしている
人も案外多くいますが、気遣い
と絡むことを履き違えも案外
多くいる気がしてなりません。


本物の気遣いができるように
目指していきたいと思います。


▼関連記事

私情と人情を履き違えない

私情はコントロール、人情は脱コントロール




posted by ごくう at 17:07 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年08月05日

どんなことも役割が硬直化するとバラバラになってうまくいかなくなる



遊びでも仕事でも人間関係でも
硬直化すると何をやってもダメ
になる。そう思うことがよく
あります。


遊びなんか堅苦しく考えずに
何でもいいだろ、なんて思いがち
ですが、その遊びですら、遊び方、
遊ぶ相手、内容が硬直化すると
結局同じルーチンにハマることと
一緒なので、何もいいことが無い
のです。


仕事でも人間関係でも一緒です。
家庭でも同じかもしれません。
とにかく役割を固定化させては
ならない。
そう思います。






役割の固定化を防ぐことで、人の
ありがたみが分かり、人の気持ち
が分かるようになるので、一致団結
しやすくなるのだと感じます。



一致団結・・・。
一つになる・・・。


こういうことが大事だ、という所
(人)ほど、実は一致団結して
いないように思います。


なぜなら役割が硬直化していなけ
れば、自然と一致団結するから。

硬直化していないと皆がそこそこ
不安なので、一つになりやすいの
です。


一致団結しよう!一つになろう!
なんていう人ほど、役割を固定化
しようと必死だったりします。

でも逆なんですよね、これ。


変化や脱マンネリこそ新たなスキが
生まれて硬直化が防げる。そこに
新しい風が入り、何らかの変化が
生まれる。


この変化によって良くなるにこした
ことはないですが、悪くなったと
しても別に構わないと私は思います。
変化を起こして悪くなったとしても、
変化を起こさないよりマシ。
役割の硬直化はゆでガエルと一緒で
一番タチが悪い。
そう思います。


▼参考記事
人生は「変節」すると、うまくいく



posted by ごくう at 23:11 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年08月04日

「好き」が共通しているのがいいか、「嫌い」が共通しているのがいいか



学生時代や若い時、仲のいい人は
自分と「好き」が共通している人
という人は多いと思います。


趣味、部活、友人、考え方など、
自分が「好き」だと思うジャンルが
共通している人、そういう人が自分
と価値観が合うんだ、と私は若い時
思っていました。


しかし年を重ねていくと、「好き」が
共通するのも大事かもしれませんが、
それと同じくらい、もしくはそれ以上
「嫌い」が共通していることも大事
だと感じてきたように思います。


「〜感じてきたように思います」と
いうのは、実は私はこのことを言葉
にして誰かに言ったこともないし、
自覚らしい自覚もなかったような
気がするからです。


でも最近ツイッターでこのようなつぶ
やきを見て、「言われてみればそうだ
よな」と思いました。で、これって
結構大事なんだと思います。大人に
なればなるほど。






若いうち(20代くらいまで?)は
「好き」の共通の割合が高いですが、
年を重ねても長く付き合っていける
人っていうのは「好き」の共通も
ありますけど「嫌い」の共通も
かなり大事。「好き」の共通も
「嫌い」の共通もかなりかぶれば
相性バッチリでしょうが、注意し
たほうがいいのは「好き」だけ、
もしくは「嫌い」だけの一致で
価値観が近い、というのは怖いな
ということ
です。


「好き」の共通も「嫌い」の共通も
どちらも大事。どちらか一方だけで
判断しないようがいいよね、という
ことだと思います。案外忘れがちな
ことなのでブログに書いてみました。





posted by ごくう at 11:59 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年07月29日

「今時の若者は恋愛をしない」というわりに、それほど恋愛マンガは減ってない理由




先日行きつけのスーパー銭湯に行き、
一日ゆっくりしてきました。


このスーパー銭湯、休憩室にマンガが
大量にあって風呂上りにジュースを
飲みながらマンガを3冊位読んで、
読んだらまた銭湯、という流れを3回
くらい繰り返してのんびりする、という
のが私のパターンなのですが、ここで
「恋は雨上がりのように」を読んだの
ですが、とても面白かったです。


40代の中年男性が「恋は雨上がりの
ように」を読んでも「若いってこういう
気持ちあったよな」とか、「ここまで
純粋なのって新鮮」という感じです
ので、若い方ならもっと感情移入
できるのではないかと思います。



それにしても「今時の若い人は恋愛を
しない」
などと言われますが、この
ような恋愛マンガは本屋にいっても
普通に流通しているわけで、まあ恋愛
モノと言えば主に女性コミックが大半
かと思いますが、これだけ普通に恋愛
モノのマンガがあるということは、
やっぱり恋愛に興味がある、って
ことなんだと思います。本当に恋愛に
興味が無ければ「恋は雨上がりのように」
「君に届け」なんて売れるはずが
ないでしょうから・・・。


じゃあ何で「若い人は恋愛をしない」
と言われるかと言えば、これはこれで
おそらく真実だと思うのですが、
それでも恋愛への興味が尽きない、
というのは結局人間の本能では恋愛
を求めている
わけです。


でも今の遊びのスタイルの主流は
消費型の遊び。これはいずれ飽きが
来てしまうんですね。
(消費型の遊びとはここでは各種
フェス、アミューズメント、ゲーム、
ファッション、飲食などの単発的な
イベント要素が強い遊びのことを
言います。)


これはこれで楽しいんですね、特に
若いうちは。



でもこの消費型の遊びは、お金も
かかるし自分でイベントを起こさ
ないといけない(自分から積極的
にイベントに関わらないといけない)
しで、単純にいろいろ消費を楽しんで
いるだけ、という感じで、個人的な
感覚ではこれだけだと30歳位で限界
(飽き)がくるかな
と。






それに対して生産型の遊びというが
あると思うんです。


生産型の遊びというのは、恋愛中の
遊び(恋愛中の遊びなら何でも)、
子育てに伴う遊び、何かプラスに
繋がることが明らかな遊びのこと。
もちろんイベント要素もありますが、
自分でイベントを起こすというより、
自然発生するイベントを楽しむような、
そんな感じ。


消費型の遊びも楽しいのですが、
年齢を重ねると体力も落ちてくるし
飽きも来るしで、どうしても消費型
の遊び
に限界を感じるようになって
くることが多いのです。


人間はこのようなことに本能的に
察知しているのか、やっぱりいつ
までも消費型の遊びスタイルでは
持たない、続かない、という流れに
なっていくのでしょう。


だからできるだけ自然で無理をせず
一緒にいられる
、という人を人間は
本能で求めているのでは?そして
その原点こそが「恋愛」なのでは?
と思うのです。






ただ現代はあまりに消費型の遊びに
偏っていて、
特に若い人は消費型に
どっぷりと浸かってきた世代。
時間の隙間を作るのがもったいない
と思わせてしまうほど現代では消費
型の遊び
があふれているせいか、
悪い意味でそのスタイルに慣れ過ぎて
しまってる。だから生産型の遊びの
原点にある「恋愛」と言われても、
その楽しみがイマイチピンと来ない
のかもしれません。



本能では「恋愛」を求めても、消費型
の遊びの延長に「恋愛」があると
思い込んでいたり、そもそも消費型
しか分からない、というのでは、
いくら本能で求めてもいつまでも
答えに辿り着かない感じになって
しまってツラいかもしれません。



そういうのもあって「今時の若者は
恋愛をしない」ということなのかも
しれません。「恋愛をしない」ので
はなく、「恋愛の仕方が分からない」
「恋愛の楽しみが(意味が)分から
ない」と、こんな感じなのかな?と
思えてなりません。
40代の人間から
すると、若いうちにそれはちょっと
勿体ないな、と思ってしまうわけ
です。




posted by ごくう at 14:34 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年07月11日

イベント依存症に注意する


今の世の中、毎日のようにイベントが
あふれています。


夏と言えば海にプール、花火大会に
ビアガーデン。さらにスマホや映画
やゲーム。もう楽しもうと思えば
毎日なんでも楽しめる。


これはこれで悪いことではないと
思います。鬱々としているよりも
日々楽しいことが多いほうがいい。
私も最近までそう信じて疑いません
でした。


付き合い始めたら色々楽しいこと
ばかり考え、結婚したらしたで同じ
ように色々とイベントをし、子供が
できたらできたで様々なイベントが
あって、とても楽しかった。


でも・・・・。


そこに後悔や不満は無いのですが、
ある時ふと内省することがあって
「楽しいことは良かったけど、
なんだか本当の意味の心と心の
ふれあいが無いような気がする」

と思ったことがあったのです。


人間はつらい時、苦しい時にこそ
本性が見えやすいもの。人生で
つらい時、苦しい時に直面した時、
どこまで自分と周囲の人と真剣に
向き合えるか。そこに本当の人の
価値があるような気がする
のです。






楽しいイベントばかりに頼って
いると、そのような内省が起こり
にくいのです。楽しさでごまかして
いたと言われても仕方がないのかも
しれません。



楽しさばかり、イベントばかりを
こなしていても、結局消化している
だけで深みが生まれない
んですね。
楽しさ(イベント)だけでは実は
意味がない・・・つまらない・・・。
そこに気付くことが「年齢を重ねる」
ということなのかもしれません。


もし毎日のようにイベントばかり
求めていたら、それは逆に今が
とても退屈なのかもしれません。
一見楽しそうに見えますが・・・、
本当に楽しいのならそれほどイベ
ントに惹かれないというものです。



イベントはあくまで一過性のもの。
イベントはサブであってこそ
イベントの楽しさが感じられる
のかもしれません。



イベントが一過性ではなく常習性
のものになってしまったら、それ
こそ楽しさなんかありません
よね。
だからイベント依存症のように
ならないように、ほどほどに自制
していくのが一番楽しいんだと
思います。


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posted by ごくう at 23:14 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする