2019年05月05日

令和は「身の丈にあった堅実さと生活感」が大事な時代



昭和、平成と来て令和。
令和時代はどんな時代になるのか
考えてみます。


ここ数日、私はこんなブログを書いて
いました。


今さらだけど「佐賀のがばいばあちゃん」
(2019/5/2)


狭い世界で見栄を張るアホらしさ
(2019/5/3)


どちらの内容も


・堅実に生きろ
・身の丈にあった生活をしろ
・見栄を張るな


ということです。


私が思うに現在40歳以上位の
人は、「見栄のかたまり」
ような人が多い気がします。
60歳以上になるともう本当に
ひどい。もう見栄が服を着て
歩いているような人が結構いる。


こういう人たちは、年を重ねて
そうなったのか、それとも
時代の流れの中で親や周りから
そう教えられてきたのか、その
あたりは分かりませんが、どち
らにしてもとにかく自分を良く
見せようと必死な感じ
がします。





このような人たちを私は


見栄っ張りファンタジー


と呼んでいます。
「ファンタジー」と呼ぶのは
職業・収入の割には何か生活感
が感じられず、ファンタジーの
世界に生きているような感じが
するから「ファンタジー」と
呼んでいるのです。


「生活のための見栄っ張り」なら
まだ理解できます。
ボロは着てても心は錦、心まで
貧乏にならないために、生活の
部分で少し見栄を張るのなら
まあしょうがないかなと思う。


ただ、今の(昭和から平成の)
「見栄っ張りファンタジー」
場合は、生活感を出さないように
するための見栄っ張りだったり、
自分のみを良く見せようとする
見栄っ張り
だったり、とにかく
「心そのものが貧乏」という感じ
がして仕方ありません。


生活感を出さない見栄っ張りは
芸能人の方ならそれでいいかも
しれません。芸能人や俳優という
職業はそういうものだと思います。


しかし一般的な人がファンタジー
のために見栄を張ってはいけない
と思います。これをやってしまう
とただの「穀つぶし感」が出て
しまって、かえってみっともない。

格好悪いだけなんです。





思えば昭和末期から平成はそういう
時代だったと思います。
身の丈にあっていないのに、見栄
だけ張ってそれっぽく見せている。

それが恰好いいと勘違いしてしまった
そんな時代。


平成は昭和の遺産(富)でそれが
何とかできた人もいた時代ですが、
令和になったらもうそれも無理
そうです。



だって大学の奨学金を借りている
学生がわんさかいるとか、ロス
ジェネ世代が40代に入ってきて
親の面倒を看るどころか自分の
面倒すらみれない、とか、平均
年収がずっと400万円台前半とか、
もうかなりオワコンな感じが
出てきてるじゃないですか。


そんなオワコンな感じでも
生活感がしっかりあればまだ
救いはあると思いますが・・・。



生活感とは、結婚して子供を
産んで、子育てをして、基本
毎日自分達でごはんを作って
それを家族で食べる。多くの
人の人生のベースは生活の中
にありますから。



でももうそれすら危うい。


まともな生活感もなく、でも
見栄だけは一人前に張りたい。
そんなの続くわけないですよ。


だから令和という時代は


「身の丈にあった堅実さ」


これが大事になるんだと思います。
これは昭和末期〜平成時代の
反動です。良い方向に向かう
のではないでしょうか。




posted by ごくう at 15:38 | Comment(0) | 「生きる力」日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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